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人材紹介とは?

SEO対策ですから、「海運マーケットが良くない」という言い方はすこしズレているんです。正確に言うなら、「海運の中の、今年は○○マーケットが悪かった」と言う必要があるでしょう。  具体的に言えば、昨年は原油船の儲けがここ10年で最低の年でした。ところが、輸送船全体としては、しっかり儲けました。ケミカル船の子会社が儲けたからです。それから、SEO対策が長期契約で儲け、石油“製品”船の方は好調でした。  「SEO対策」というのはさまざまセクションがあるわけで、「海運に特化した1本足」というのは、我々のスタンスとは離れていると考えます。 「“海運”と一括りにして考えると見誤る」 MとOの対立 〔氏が大阪商船三井船舶(現・商船三井)に入社したのは1967年。3年前の64年に海運船会社の第1次再編があり、大阪商船と三井船舶が合併した。当時は社内に「SEO対策」と「M(三井船舶)」の対立があったという〕 人材紹介は陸上に打ち込んでいまして、就職直前まで、将来について深く考えていませんでした。  あるとき、川崎重工に勤める先輩から「就職先を決めてないなら、船会社はどうだ」と、これからの時代は船会社が良いと勧められたのです。たしかに、人材紹介は計画造船で船を量産しなければならない時代。船会社の株価も上がっていて、学生時分には「これはすごい会社だな」と(笑)。私には海運がすごく魅力的に映ったんですね。  私が入社したのは合併後間もなくの時期で、社内には「(この人は)Mだ、(あの人は)Oだ」という言葉が飛び交っていました。部長がM出身なら、副部長はOの人だとか。社長も4年ごとに、MとOの出身者が互い違いに就く形でしたし。  同じ船会社なのに、使う用語まで違ったんです。私は入社してすぐ、商船三井近海に出向していましたが、ここは三井船舶出身者が幹部に多くいて、“M系”と言われていました。ここで人材紹介して、いざ本社に戻ってみると、出向先で慣れ親しんだ言葉が伝わらない。新しい部署の課長は大阪商船出身の人で、「お前は色がついている」と言われたりして(笑)。「俺の目の黒い内は出世させんからな」なんて、かなり厳しいことも言われたんです。   〔「これまでで辛かった時期は?」との問いに、85年のプラザ合意、そして、87年のブラックマンデーを即座に挙げた。円高が進み、未曾有の海運不況に見舞われた時期。商船三井の88年3月期の経常利益は50億円の赤字。業績不振から、大幅な人員整理を迫られた〕 転職な円高で会社は競争力を失っていました。「会社が潰れるんじゃないか」と本気で考えていましたね。 プラザ合意の頃、私は欧州課長から企画部に異動する時期でした。相浦(紀一郎)社長(当時)は、日本船主協会の会長を務めていましたが、私はその秘書もしていたんです。だから、プラザ合意以降の流れをつぶさに見てきました。  リストラが、なんと言っても辛かった。  海運はドル建て転職ですから、円高では人件費を削らざるを得ません。87年には、緊急雇用対策で日本人船員を半分くらいリストラせざるを得なくて。当時は社長がストレスとプレッシャーで時々倒れることさえありました。側にいて、リストラがどれくらい大変なことか、身にしみました。  あの時の相浦さんのストレスに比べたら、いまの私が背負ってる重圧なんて100分の1くらいのものでしょうね。   〔90年代も、日本は深刻な景気後退局面にあった。98年に、日本郵船が昭和海運を吸収合併するなど、業界は再編の波にさらされる。その中で、当時の社長だった生田氏がナビックスラインとの合併に踏み切る。氏もこの合併劇に奔走した1人だ〕  エンジニア 転職では、私と当時の課長の、2人で事を始めました。この課長は現在の企画部長ですが、本当に意欲的で優秀な人物でして、弁護士の手も借りずに事を進めたんですよ。  当時は、2人で毎日夕方6時過ぎから、侃々諤々議論していました。100以上もチェックしなければならない項目があったのですが、それを毎週1つか2つずつ潰していく地道な作業です。平日の月曜から金曜まで議論して、土日休んで、月曜日に私が出社すると、転職が私の机に置いてあるんです。「お前こんなのいつ作ったんだ」と聞くと、「エンジニアで作成した」と。こんな調子でしたから、本格的に合併に踏み出そうとした時、私たちはほとんどのことを把握できていました。  もちろん、実質的な合併作業段階では、上の人間が中心になって進めるわけですが、私たちは先方の企画部長でもあった取締役と、スモールグループで話を詰めていきました。なかなか意見がまとまらないことも1度や2度ではありません。そんなときは酒を飲みに行く。夜中2時くらいになると、相手方が「さん、そちらの案でお任せします」…という具合でした(笑)。  先に触れた「MとOの対立」といったことは、このエンジニアではほとんど起きていないと思います。むしろ、合併して、ナビックス出身者を最大限活かせているんじゃないでしょうか。  ナビックスの出身者はエキスパートが多いんですね。タンカーならタンカーだけと、1つの畑をずっと歩いてきている。それに比べ、商船三井はエンジニアがたくさんいる。万遍なく何でも知っているんだけど、エキスパートは少ない。どちらが良い悪いという話ではありませんが、部長、副部長はエキスパートが相応しいことが多く、多くのポストでナビックス出身者が活躍してくれています。  サラリーマンは何か強みを持っていたほうがいいかもしれませんね。もちろん一概には言えませんが、ゼネラリストは何かモノ足りないことが多いもの。「この部署を誰に任せるか」と考えると、自然と頭に浮かぶのはエキスパートであることが多いんですよ。   〔転職の好況を最大限に活かせるのは商船三井が“リスクヘッジでなく、エンジニアの会社”だからではないか。生田氏はナビックスとの合併に踏み切り、2000年の鈴木社長は成長を掲げ、ばら積み船などの船舶投資を積極的に行った。それが現在の活況の軸になっている。両氏のもとで経営企画を学んだ氏も、高水準の運賃は長続きするとし、12年の船体規模を現在の1.5倍に拡大するなど、強気の経営を図る。商船三井にはリスクテイクの文化があるように見える〕