会社設立のこんな進化

日本銀行のトップは金融情勢だけでなく経済全体の流れをよく観察して、今ここで金融政策をどういう姿に持っていくことが経済に最も良い影響を与えることができるかを決めて、実行する義務がある。 そのためにこそ日本銀行の膨大な組織があるのではないか、ということを日本銀行の内部の人にいうと、返ってくる答えはみんな共通している。
「理論でございます。 実際はそうではない」と。
困ったことをいってくれるなと思います。 そういう状態ですから、おそらく先ほど申し上げた政権交代と関連すると思うのですが、日本銀行法を改正して日本銀行の独立性を強めようという主張には理屈のうえでは反対できないと思います。
が、実際問題としては、そういう発想の人たちが日本銀行の幹部を全部占めているとすれば、むしろ独立性を与えちゃいけないと思うのです。 むしろ逆に政治の方から、どんどん日本銀行の動きに干渉していかなければならないのではないでしょうか。
それに日本銀行の内部からももっと、日本銀行のあり方についての議論が出てこないといけないのですが、日本銀行出身の論客としては吉野俊彦さん以来出たことがないのですよ。 S木淑夫さんがもう少しはっきりしたことをおっしゃればいいのだけれども。

U草最近、S木淑夫さんが『日本の金融政策』(岩波新書)を出版されました。 S木さんも日本銀行の独立性の重要性を指摘しているわけですが、戦時立法である日本銀行法がまだ残されていて、実質上、人事権を中心に日本銀行の独立性というのは相当制約されやはり問題を引き起こしているわけです。
金融政策というのは、経済政策の政策手段のひとつですから、内閣からの制約を断ち切ることはできないのです。蔓かといって日本銀行の独立性を少し高めるような工夫がないとまずいと思います。 ところで現実の経済政策というのは生身のものですから、常に優先順位が問題となります。
すべての政策というのは、こちらに効き目があれば、あちらに副作用がある。 そのなかでトータルに見て優先順位をどうつけるかというのが経済政策だと思うのです。
そのあたりの優先順位のつけ方が非常に硬直的だと問題を生じます。 赤字国債は出さなければ出さないにこしたことはないのですが、それ以上に大きな弊害がそれによって発生するのであれば、その優先順位は下がるわけです。
一九九一年の春にM重野康日銀総裁が、「日本銀行の政策目的には通貨価値の安定と金融秩序の維持の二つがあって、戦後初めて二つの問題に対して二正面作戦で取り組まなければならない状態に立ち至った」といいました。 金融秩序の維持というのは、きわめて大きな意味を持つ。
ただ本来は金融自由化というのを十分進めて、本当に自己責任原則が成り立つような仕組みを整えておくことが重要だったが、現実には、完全な自由化の下での自己責任原則の徹底という条件は整っていなかった。 バブルへの積極融資は、大蔵省の検査や、日本銀行の考査のなかでもひとつの評価項目となっていた面もある。
積極対応をしていないと、消極的でやる気がないと見られる傾向もあったようです。 こうした広い意味での指導下の金融機関のバブル対応を、自己責任原則のひとことでバッサリ切り捨ててしまうのも理不尽な面もある。
かといってすべて救済するというのでは、自己責任原則は否定されてしまう。 等々の問題があります。
現実の政策はこのように過去の政策の失敗を背負って、かつ望ましい方向をめざさなければならないから取り扱いは難しい。 けれどもやはり優先順位を含めて、原理原則を明確に定める。
透明性をもって着実に実行するという、政策の王道といったものを尊重すべきです。 H谷川形式的には、日本銀行総裁はときどき国会に来て、大蔵委員会で証言するのです。
ところが日本銀行総裁の証言というと、まず新聞がとり上げたことがありません。 アメリカでは、FRB蓮邦準備制度理事全の議長が下院の本会議の、俗にいう「金融財政委員会一(ウェイズ.アンド・ミーンズ)で証言をします。

必ず世界中の新聞がとり上げます。 なぜそんなに違いがあるのか。
月給はM重野さんの方がはるかに高い。 M重野さんは年俸三千六百万円もらっている。
ところが現在のFRB議長であるグリーンスパンの年俸は八万七千ドルで、今の為替相場で計算したら一千万円にもなりません。 当然、M重野さんはもう少し、高い月給に相応した働きをしてもらわなきゃならないのです。
世界の注目を浴びなければならないにもかかわらず、日本の新聞でさえ、M重野さんが衆議院の予算委員会でこういう発言をしたということを書いたことがない。 M重野さんは何もやっていないわけではない。
誰も聞いていないのです。 こういうことになっているのです。
U草アメリカでは、ハンフリーホーキンス法という法律にもとづいて、議長が年に二回議会証言を行なっています。 また定期的に行なわれている連邦公開市場委員会(FOMC)というところの議事録が、次のFOMCが終わったときに公開される。

しかもある議決について、何対何で成立したか、誰が反対して、誰が賛成したかまで書かれてそういう意味では日本銀行の政策決定についても、政策委員会は週に二回行なわれるわけですが、もっと公開していく必要もありますね。 H谷川公開したら大変でしょう。
誰が居眠りをしていたかまで書かなければならないことになる、という話を聞いたことがあります。 U草たとえば日本銀行の説明ぶりというのも、やはり政治的なのですね。
政治的というのは、はじめに答えがあって、たとえば金融緩和はこれ以上したくないというときに、理論武装というか迷彩をほどこすわけです。 かつては、マネーサプライの伸び率が高いと、潜在的なインフレ要因になり、非常に危険な状態である、したがってそういう時期に金融緩和はすべきではない、というマネーサプライ重視の説明をとっていた。
もし同じロジックを用いるのであれば、一九九二年から九三年にかけてマネーサプライはマイナスの状態になったので、きわめて危険である、大変なことになる、と書かなければならない。 ところがそのときには、そういうロジックは消えてなくなっている。
金利が十分に低いとか、あるいは過去のマネーサプライの残高効果があるとか、ということで説明する。 理論的であるはずの金融政策の説明が理論的ではなくて、政治的になっているのです。
目的のためなら、どんな理屈でもそのときに合ったものを使うということです。 しかもマスコミの方は、専門性が低いという面があると思うのですが、たとえば社会部的発想にもとづく政策批判が優先してしまいがちです。
金利低下策に対しては、バブル再発懸念の批判一色にしてしまう。 社会部的感覚でいえば受けがいいわけですが、これまでの野党的というか、無責任のそしりは免れません。

H谷川これまでは金融についての専門誌がありませんでした。 「日経金融新聞」が出てまだ三、四年目です。
たとえば「ウォール・ストリート・ジャーナル」にしても「フィナンシャル・タイムス」にしても、金融面はなかなかページ数が多い。 ところが日本は、「日本経済新聞」でも金融面は、公定歩合の問題なんかがあれば一面でとり上げるけれども、重要問題以外はほとんどとり上げない。
金融専門の紙面もなかった。

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