目的に応じた楽婚の使い分けを
アジアからのお金の流れを見ると、米国への17%、欧州への17%に比べて、アジアには8%しか投資されていない。
一方でアジアへの流入シェアは米国が17%、欧州が17%となっている。
アジアがアジアに投資する市場がないということである。
これまでも、アジアに資本を集積して増殖する市場がないことは度々指摘されてきた。
その背景も商品や情報の乏しさや規制、税制といった面から説明されてきたが、最も説得力があるのは、これまでその必要性がなかった、という単純な理由である。
欧米市場以外の地域で最も必要性を感じていたはずの日本が、欧米資本市場の利用で満足してきたことも大きな要因であろう。
だがアジア経済の発展とその潜在力は、国際金融の伝統力学に圧力を加え始めているといってよい。
その変革の必要性を端的に示したのは、アジアの資本政策に大きな弱点があったことを認識させた1997年のアジア危機であった。
それは地域資金を地域で資本化する手段をもたず、資金の資本化を欧米市場に委ねることがいかに危険なことであるかを明確に表現したのである。
資本市場は、資金が資本化される必要性から発達した。
それが大西洋金融システムの始点であった。
現在では、欧米など先進国の経済成長が安定化する一方で中国やインドなどアジア地域での成長が世界経済を牽引する一翼を担っており、アジア地域における貯蓄の資本化だけでなく先進国からのアジアへの資本流入も急増している。
この動向が続けば、アジア自身に既存の太平洋システムとは違った市場を求める声が強通貨、資本、市場といったキーワードを包容しつつ強靭な発展を続けるように見える国際金融体制も、実はさまざまな好余曲折を経験してきたシステムであり、ときには体制破綻のリスクに直面することもあった。
この節では、株式バブルと中央銀行の成立、そしてまってくるかもしれない。
サブプライム問題の拡大によって欧米資本市場の機能がマヒしたことは、アジアにおける資本市場の必要性を高めていると見ることもできよう。
それは、現在大西洋市場のハブに止まっているアジアの資本市場が独自の発展形態を模索し始める可能性を示唆している。
アジア市場の「大西洋マーケット離れ」のシナリオはあり得るかどうか、それは資金の効率的な資本化に苦労している日本にとってもきわめて重要な問題である。
株式会社バブル財政再建には増税や硬貨改鋳などに着手する必要があったが、そうした伝統的手段も焼け石に水であり、フランスは抜本的な国債対策に迫られていた。
そこにスコットランド人の J が提案したのは、国民が返済に不安を抱いて額面の17%程度まで叩き売られていた国債を、「新たな希望」によって償却することであった。
その希望とは、オランダやイギリスの東インド会社の成功で人気の高まっていた株式会社の株式のことである。
つまり額面が17%程度の国債を、 J が計画する株式会社の株式に振り替えるという、世紀版の「デット・エクイティ・スワップ」であった。
ルーブルの市場価格が17%であれば国は理屈の上では6億ルーブルで買い戻せるが、である。
金本位制の崩壊をとりあげ、その弱さと強さの入り混じる姿を通じて、国際金融の力学がそれほど簡単な方程式で示されるものではないことを記しておこう。
やや話は遡るが、株式会社としてのオランダと英国の東インド会社が順調に成長していた岨世紀初頭、フランスでは「ミシシッピ計画」と呼ばれる一連のフランス政府の財政・金融政策が遂行されようとしていた。
太陽王ルイ皿世の曾孫であった幼少のルイが即位した時代のフランス財政は、王室の多大な消費によって事実上の破綻状態にあったからフランス政府にはその資金がなかった。
J は、フランスの植民地となっていたミシシッピ河周辺との貿易を行う「特許会社」を設立し、国債で払い込みをする計画を立てた。
つまり投資家から国債をこの株式を使って買い上げるのである。
これによって、国の債権者は民間の国債保有者から国営特許会社に移り、表面上は国家債務が忽然と消えることになった。
1719年に「インド会社」と改名されたこの独占企業は、英国の東インド会社の連想もあって強い期待が寄せられ、株価は高騰して国債償還計画は成功したように見えた。
だが、実態を反映しない株価に対する警戒感により、その株価も一時は額面の仙倍近くまで急騰したあと、1720年の夏ごろから徐々に下落し始め、年末にはほとんど額面近くまで暴落してしまった。
このシステムは、政府の施策が信頼され、インド会社の株価が疑いもなく上昇し続けることを求められていた。
インド会社は全く実態がなかったわけではないが、明らかにその株価は会社の価値からかけ離れており、そのシステム維持は継続不能なものであった。
日本の不動産バブルや米国のITバブルの本質も、この肥世紀の出来事のなかに見出すことができるだろう。
フランス政府は、このインド会社の処理に悩まされることになったが、「ミシシッピ計画」と同時期に英国でも「南海会社」のバブルが始まっていた。
東インド会社の成功を、南アメリカとの交易においても実現しようと企画されたのが南海会社である。
当時、同地域はスペインの植民地であった。
スペイン継承戦争の最中に英国は南ア地域との交易権を手に入れ、1711年に南海会社が設立されたのであるが、それは事実上の国債引き受け機関であった。
南海会社の株価は1720年初頭の100ポンドから半年でほぼ皿倍の水準にまで高騰し、 E 銀行や東インド会社の株価までつられて上昇する。
その投機熱が高まるなかで、南海会社に追随しようと多くの泡沫会社が現れる。
真面目な会社もあれば単に投機を呼ぶだけの会社もあり、まさに玉石混交であったが、議会が泡沫会社を規制する姿勢に出たために泡沫会社の株価は暴落、南海会社の株価も一気に転がり落ちて、自殺する者が後を絶たなかったという。
英国は株式会社禁止法によって、一部例外を除いて岨世紀初頭まで株式会社の設立を禁金融にとって必需品ともいえる銀行券はひとつの革命的な存在であるが、その登場は苦い経験を伴うものであった。
その具体例を、再び19世紀初頭のフランスに見ることができる。
ここでも主役はかの J である。
彼は「土地や貴金属を担保として発行される銀行券の流通によって経済活動が活性化する」と自説に同意する者が増えたのを契機に、大幅に割り引かれてジャンク化していた国債を使って銀行を設立し、金銀などの硬貨と交換可能な銀行券を発行した。
その銀行券は納税用の法定通貨にもなったため、次第に国民の間に流通するようになる。
その銀行券は、金に対してプレミアムがつくほどの人気となったが、それがフランス経済混乱の始まりを意味することになり、これが米国に比べて大企業の発展が遅れる一因ともなった。
ただ、ぜい弱な金融システムのもとで経済が失墜したフランスと違って、英国の救いは、すでに E 銀行が金融面で中心的役割を果たし始めていたことであった。
ロ−が設立した銀行は王立銀行(バンク・ロワイヤル)と改名され、プレミアムに自信があった。
戦争と中央銀行券は革新的なアイデアであったが、それを絶対主義国家の下で行ったことがフランスにとっての悲劇となった。
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